僕はジャッジする人が嫌い
ジャッジって
○○さんってこうだよね。
という一面だけを切り取ったものだったり
血液型Oの人って大雑把
とかいう一般論で人を切ったり
~しないなんてあり得ないとか
バカなんじゃないの?とか
存在そのものを否定する強いものまでさまざま
そういうことをいう人からは
距離をとりたくなる
っていっても、今の世の中
ほとんどこんなことが当たり前
のようにおこなわれているから
時間を創って、誰とも話さない時間が
僕には必要
なんでって
その言ってる人が嫌いなんじゃなくて
かつての自分が当たり前にやっていて
それが正しいと思っていたから
人をバシバシ切りまくって
自分は優秀だとさえ思っていた
恥ずかしい過去がある。
そんな自分が許せないことがある
今は前ほどジャッジしてはないけど、
やっぱりしちゃうときはある
そして、ジャッジしている人と接したり
見たり、聞いたりすると
過去の自分がその人にダブって
嫌い!
って反応が起きる。
じゃ、なんで、ジャッジするの?
僕は自分自身を守る手段だと思う
何かのきっかけが自分に起こると
過去の傷を感じたくないから
身近にいる人だったり、
テレビに出てる人に
自分の見たくないところを重ねあわせて
ジャッジすることによって
自分の傷に触れなくてすむ
だから、ジャッジをたくさんする人は
たくさん傷ついている人
生きてくる上で、数々の困難に
立ち向かい、あるいは誰かを守るために
戦い、傷を負ってきた勇者
その表現方法が上手くないだけで
その人の根っこは
めちゃくちゃ優しく、繊細だと思う
だから、そんな人に出逢ったら
今までは距離をとっていたんだけど
話を聴いてみたいと思う
そうすることで、隠れている
その人の優しく、繊細な人柄に出逢えるから
表には出ていない、本質に触れる
それは僕にとって、心が震える瞬間
全員でなくていい
家族だったり、大切な人だったり、友人だったり、クライアントさんだったり
自分の周りにいる、ほんの少しの人でもいい
そんな場所を創れる人になりたい
我が社の創業の想いに
ダルマストーブ経営
ってのがある
何するわけでもなく、そこにいると
あったかくて癒される
代々の社長が大切にしていたものを
引き継いでいこう
講座や個人セッションをしています。