ビジネスシーンの中にセラピーを取り入れようとセラピストになってからずっと研究、活動している。
そして道半ばであるが、安全に、最短に気づく、1つの形が見えてきたように思う。
そもそもビジネスをしている人への認識が、心理学の対象とされている人とずれているように感じる。
心理学はと言うと、全てとは言わないが、やはり精神的に病んでる人をベースに構築、発展されているように感じる。
そして僕のもとに訪れるビジネスマンは病んでいるわけではない。
真面目で真摯で、自分のことはさておき、会社、社員、その家族を背負っている人、あったかい人たち。
僕のもとに来るビジネスマンは大事なものを守るために戦いすぎているのだ。
何と戦っているのか?
それは自分自身の中にある弱さと戦っているように思う。
弱さがあっては大事なものを守ることができないから。
弱さと戦っている人が、セラピーの局面において、感情をさらけ出すということは、弱さをさらけ出すということ。
自ら敗北を認めることなんてできない。
駆け出しの頃、僕はこの構造がわからなくて、とても苦労した。
感情を出すことがセラピーであると勘違いしていた部分もあると思う。感情が出てくるのはあくまで気づきの延長上にある結果であり、身体の記憶が涙を流させるのである。
感情を出すことが目的ではない。
ただし、感情に触れる質問はある。
それをどう扱うかである。
僕自身がたどり着いた1つの答えが
『敵がいないのに戦っている』と言うことに気づいてもらうことである。
時には感情に触れなくても。理性的に安全に。
よくある事例がある人から、
その人を思ってアドバイスをしてくれたと思うのだけど、その人に対して敵意が湧いて反撃してしまう。
これは無意識に責められてる、戦いが始まったという反応で起こしてしまっている。
改めてその瞬間をセッションの場に出してみると、実は戦闘は始まっていない。
矛も盾も持つ必要がない状況なのだ。
そもそも安全であるということに経営者、経営幹部が気づく事は、社内から戦いが排除できる可能性を示している。
ここで言う戦いとは、自分を守るための防衛的な戦い、それに対して無意識の反撃することを言う。
その戦いのない場というのが、安全な場であり、いわゆる心理的安全性の高い場が作られる。
そしてそれはまずトップである、経営者から始まるのが1番好ましい。
なぜなら、いくら部下が変わっても、経営者が、戦いが起きていると思って怒ってばかりいたら、働いてる人たちは安全性を感じられず、また防衛的な反応を示してしまうようになるからである。
この本来戦いが起きていないということがわかると、
経営者の判断基準が変わってくる。
判断基準が明確になると
選択に迷いがなくなる。
たくさんの経営者をセッションさせていただいて話される事例は様々ではあるが、
法則性があるように感じている。
その仕組みが明らかになっていく過程が
仕事をしていて、何よりも楽しい。
仕組みを明らかにして、パターン化はしない。
まだ、言葉にされていない願いに触れることが何よりもの感動する瞬間だ。