僕は発達性トラウマかもしれない 気づいて動けなくなった一週間 理解が癒しになる
一週間くらい前に、友人の小倉ヒロさんの投稿で結局は発達性トラウマと愛着障害に行き着く。でポリヴェーガル理論につながる
というFacebookの投稿を見た。
そこには関連する書籍の写真
気になってその中の一冊を購入して読んだのが一週間前
発達性トラウマとは
長期にわたって反復される虐待やネグレクト、養育者や他の大人からの性被害など、幼少期の逆境体験(II型トラウマ)により発達課題を達成できなかった状態は、「発達性トラウマ障害」「愛着トラウマ」などと呼ばれていました。
僕にはそこまでひどい体験をしていないから関係ないくらいに思っていたけど、現在では多かれ少なかれ、ほとんどの人が発達性トラウマを持っていることがわかってきている。
また、多くは日常生活に支障はないけど生きづらさを抱えて生きているケースが多い
僕が気になったのは自分のブログ投稿
その中でも、自身の体験や価値観を書いているんだけど、かなりの割合で生きづらかった部分は発達性トラウマの症状と一致する。
劣等感
自分には価値がない
自分を大切にできない
他人軸
などなど
それを捉え方を変えてどう生きるかを書いてきた
それに気づいてからブログが書けなくなった。
だって書くと自分は発達性トラウマです
って言っているようでイヤだった。
あくまで自分の感覚だけどね。
だから、関連する本を読み漁って、
個人セッションを3本、クライアントとして受けて、どうにかしなきゃって思った
今、振り返ると、なんでそんなに焦ったか?
わからないけど。
何か一つのことに囚われると視野が狭くなるよね。
結論的に、発達性トラウマを一つ一つ
見ていくのではなくて、
『自分の中に安心を育む』
ことが一番大切ということが
僕の中で結論として出た
自分の中に安心できるスペースがないから
何かのトリガーでトラウマが発動する
だから、自分の中に安心感を育てて
そのトリガーに反応しない自分を育てる
理解とは癒し
それがわかったことで僕の中に安心感が生まれている
そして、自分の中に安心感があるとき、セッションすると、とてもいい(自画自賛)セッションになるのを体感しました。