航空自衛隊のパイロットになりたかった。なることで欲しかったものとは?厳しい環境が人とのつながりを創ると信じていたあの頃
高校生の頃の航空自衛隊のパイロットに
なりたかった。
きっかけは今、公開中の
トップガンマーヴェリックの前作、
トップガン
意外と単純(^_^;)
その中で主役のトムクルーズが乗るF14は
2人乗り
前が操縦士で後ろは武器攻撃オペレーター
自分達の母艦の空母に敵機が近づく前に
通常より遥かに長い射程ミサイルを
発射するために生み出された
大きなミサイル、大きなレーダーの搭載を可能にした、大きな飛行機に二人乗り。
アウトレンジ攻撃、空母に発着可能にした
可変翼
そのかっこよさに、小学生からプラモデルを
作っていたのを思い出す。
映画のような近接戦闘をするための機体
ではないので映画の戦闘シーンには
疑問を感じていたけど。
プロトモデルと初期モデルにはガトリングガンの装備がなくて、ベトナム戦争当時、
ミサイルが当たらなくて、追加で装備した
ように記憶している。
そのF14のかっこよさや戦略的な
飛行機運用もさることながら
お互いの命をあずける
お互いを信じる
そこに至るまでの葛藤
本音でぶつかり合う姿に感動したのを
今でも思い出す。
高校生の僕は、こんな人とのつながり
関わり方に憧れていた。
命をかけた、めちゃくちゃ厳しい訓練や
生き方をすれば、本当に信頼できる人間関係が
創れると信じていた。
高校入学時に、部活動を決めるときに
担任の川崎先生に
「この学校で、一番厳しい部活は
どこですか?」
と聞いたら、バレー部か陸上部という
答えだった。
厳しい練習の中で、信頼できる仲間と
過ごしたいと考えていたので、
チームスポーツのバレー部に入部した。
今ではありえないが、体罰は当たり前
右を叩かれたら左を出せ!
くらいの昔ながら体育会系
ここにも、その当時の僕の考えが
色濃く出ている。
厳しいことを共に乗り越えると、
本当の信頼できる人とつながれる。
あの頃は、その方法しか知らないから、
そうすれば人とつながれると信じていた。
事実、高校当時のバレー部の友人は
30年を超えた今でもつながりがある。
僕はそれぐらい、人との関係に飢えていたんだと思う。
通常だと、家庭の中で、人との関わり方を
学ぶ。
親がこの世の中を学ぶ
最初の先生でもあると思う。
残念ながら、僕は親から人とのつながり方を
学ぶことができなかった。
親がどうこうではなくて、
僕が親から学ぶことができなかっただけ
なんだけど。
だから、厳しい環境にこそ、
本当の信頼が生まれるという偏った考えが
生まれたんだと思う。
その考えをもとに、何かを選択するときは、
より厳しい環境を選択してきたように思う。
結果として、どんなに厳しい環境に
身を置いても、自分のあり方が整ってないと、人とはつながれない。
自分を信じてない人が、
人を信じることをできないから…
人とつながるって、信じ合うことが
スタートなのに、そのスタートラインにも
立ってない。
ただ、高校生の頃の唯一の救いは
自分の可能性については
めちゃくちゃ信じていた。
やればできるという自信があった。
自分が、自分を信じている状態
だから、一見、無理とも思えることに
チャレンジできる。
失敗したとしても、諦めなければ
経験だけが残る。
自分の中に、自分を否定する自分
そして、かつては、自分を無条件に信じている
自分がいることを思い出して、感じてる。
人生に遅すぎたということはないと思う。
気づいたタイミングが、一瞬早からず、
遅からず、ベストタイミング
気づいた今からでも遅くない。
自分の可能性を信じて生きよう。
ブログに書くことで、自衛隊になりたかった
ことへの共感のコメントをいただいた。
どうやったら、航空自衛隊のパイロットに
なれるのか?
道は二つ。
一つは高校卒業後に
①航空学生になる
②防衛大学に入学する
①は現場のパイロットを育てる
長く現場で活躍するにはこちらがよい
と、自衛隊事務所のマッチョなお兄さんが
教えてくれた。
②は自衛隊幹部を育てるコース
卒業時に陸、海、空のどこの士官になるか?
決めるために、必ずしも航空自衛隊、しかもパイロットになれるとは限らない。
※あくまで、高校生当時の僕の記憶をもとに書いてます。
自衛隊ホームページより
航空学生とは、高校卒業又は中等教育学校卒業者(見込みを含む。)、高専3年修了者(見込みを含む。)及び高校卒業と同等以上の学力があると認められる男女を対象にした、海上自衛隊・航空自衛隊のパイロット等を養成する制度です。
入隊後は「航空学生」として、全員が学生宿舎で規則正しい団体生活を送りながら2年間の基礎教育を受け、続いて飛行訓練を中心としたそれぞれの段階の操縦課程に進みます。