前回のブログで赤字が怖いを書きましたが、これをセッションしてもらいました。
今回セッションしてくださったのは、世田谷でゲシュタルト療法東京「気づきのワークショップ」
でファシリテータをしている水野かやのさん。
僕が話している中で
「頭ではわかっていたことなのに決算書の赤字のマイナスを見ただけで怖さが出てきた」
といったところでそこに留まって感じてみることはできる?
と提案してくれた。
しばらく感じようとしてみたが、何も感じない。
この「何も感じない」は父が亡くなってから12年間、心理を学び始めるまでよくあった感覚。
感情を感じないようにしている。
考えたり、その当時起きた情景は浮かんでくる。
そして、よく考えていたことも思い出した。
「死んで生命保険で借金を返せたらどんなに楽になるだろう」
自分が作ったわけでもない、父が作ったわけでもない
父の兄(2代前の社長)が作った会社の借金をなんでこんなに苦しい思いをして
返し続けなければいけないんだろう?
会社のすべてだけでなくて、自宅の家屋敷、土地まで銀行の抵当になっている
いつになったらこの苦しみから解放されるんだろう?
逃げ出したい。
逃げ出したら家族は住む家すらなくなっちゃう。
逃げられない。
何事もないように見える人たちが恨めしい。
こんなことは誰にも言えない
言ったら誰も相手にしてくれなくなっちゃう
でも苦しい
ふと油断するとこんなことを考えるから常に緊張して感じないようにしていた。
自分の中から湧いてくるエネルギーを「怒り」としてしか表現できなかった日々
自分自身だけでなくて、たくさんの人を傷付けた過去
あまりにもつらい過去、感覚が湧いてきて、そこに留まることなんてできなかった。
そんな様子をファシリテーターのかやのさんは感じて
その感覚に留まることをやめさせ、その当時の起きたことをただ聴いてくれた。
それを話していたら、あの当時に、僕は安心して話ができる人が欲しかった。
ということを想い出した。
わかってくれると嬉しいけど、わからなくてもいいから、
いいとか悪いとかアドバイスとかもしないで、ただただ聴いてくれる、安心して話せる誰か。
こんなことは人には言えない。家族にも言えない。そんな心情を聴いてくれる誰か。
そんな誰かに自分がなりたい。
と決めているという言葉が自分から出てきた。
経営者、ビジネスマンとは面白い生き物。
多くの人は自分自身の悩みを話すが、経営者、ビジネスマンは会社や働いている人のことや
社員さんの生活、家族のことまで含めて悩んでいる。
そんな人たちのサポートをしたい。
だからこそ、自分自身の在り方を包み込むように柔らかく
セラピーの技術、経験を日本刀のように切れ味鋭く磨きたい
なぜなら、ビジネスの場で真剣勝負をしている人たちの想いを聴くには
生半可なあり方では本当の話をしてもらうことはできない。
少なくてもあの当時(何も感じない)の自分はそんな真剣に向き合ってくれる人にだったら
話したであろうと思うあり方になりたい。
あの苦しかった頃の自分が今の自分がどうありたいか?
を創りだしている。
欲しくても手に入らなかったことが(安心して話せる誰か)、自分のやりたいを動かしている。
そして、そんな真剣な、本音の話をできるセッションの場を僕は楽しんでいる
僕の楽しいはワクワクやフワフワしたものじゃなくて、
スポーツやビジネスの真剣勝負
というような肌がピリピリするような緊張感
自分は自分でいて、目の前にいるクライアントさんの隠された、表現されていない真実に触れる瞬間
まるで宝物を見つけたように心が躍る
そんな瞬間を紡ぎだせるセラピストになりたいと思っているということが
決算の赤字が怖いという始まりから生まれた。
セッションを終わった後に見ていた人からの感想で
頼もしいという言葉をもらったのは意外だった。
自分がやりたいことを伝えることで好ましく応援したいということを言ってくれる人の存在
以前もいたのかもしれないけど、自分のやりたいことを伝えてないから出会えていなかったり
出会っていても僕が何を考えているのかわからなかったり。
言葉がすべてではないが、言葉にすることってパワフル。