人生の転機 圧倒的な行動と体験が、自分を作り出していく。自分の感覚を思い出し、信じる
先日、AKと言う合唱団グループの練習に
参加してきた。
友人の1人が、AKに参加しており、
以前コンサートを見に行った。
そのコンサートの中で歌っている彼女に
僕は感動したのだ。
その彼女は、自分を表現するのが
とても苦手な人だった。
そんな彼女がコンサートの中で、
堂々と自分を表現している姿に
とても心を打たれた。
彼女の中に何が起きたのか、
僕はとても興味が湧いた。
彼女に連絡をとって、
AKの練習を練習に参加してみたい旨を
ずいぶん前に伝えた。
しかし、いざ行くとなるといけない。
体調不良もあったが、
そのいけないを感じてみると、
とても怖い感じがする。
その怖さが何かわからない。
頭で考えると、僕は昔から音楽が
とても苦手だった。
歌を歌うことにも
とても苦手意識がある。
カラオケに行くと、
大体隅っこのソファーで座ってる人だ。
そんな僕がコンサートやるような
合唱グループに行くことに
とても怖さを感じていた。
だからこそ、行ってみる必要があると
感じた。
頭であれこれ考えて、
行動しないのではなくて、
興味が湧いているのに、
行くのが怖いという
不明確な感覚をそのままに
しておく方が、気持ち悪いからだ。
ついに今日参加してみた。
最初のほうこそ、場に馴染めなくて
緊張していたが、慣れるにつれて
大きな声で歌っている自分に気がついた。
そして大きな声で歌ってみると、
なかなか気分が良い。
そんな中であるとき、
気がついたことがあった。
練習で歌われている歌は
日本語ではなかった。
ニュージーランドのマオリ族の
ハカだったり、
アフリカのどこかの民族が
歌ってる歌だった。
それを聞いていると耳から入ってくる音に
集中して同じような音を出そうとしている
自分がいた。
日本語ではなかったので、
発音が正しいとか、音程が正しいとか
ではなくて、耳から入ってくる音に
集中している。
そうしていると、
歌っている人たちのエネルギーを感じる。
僕はいつしか、
自分の体から音を出そうとしている、
自分に気がついた。
そう、練習に参加する前に
自分が怖いと感じていた事は
正しくできない。
うまくできない。
音楽は苦手だ。
歌は音痴だ
という自己認識が、
ただただ歌うということに
怖さを増大させていた。
今までの人生は、
どこかで正しいか正しくないかを
判断して、
外からの自分が自分をジャッジしている。
他人からどう見られるか、
他人にどう思われるかを
必要以上に気にしている。
そんな自分がまだ、あることに気づいた。
そんなの、もう必要ないよね。
あー、ばっからしい笑
正しいか正しくないかではなく、
自分が楽しめるか楽しめないか。
自分が心地良い場所にいれて、
心地良いと感じられているか。
それこそが大切なこと。
生きるときに何を基準にするのか。
その軸足がしっかりと固まったときに、
今までと違った景色が見えてくる。
同じものを見たり、体験しても
感じ方が変わる。
感じ方が変わるから、
その解釈も変わる。
自分は、かつての自分と
ものごとの感じ方がかなり違ってきたようだ。
行動をしたことによって
自分が考えていたことと
実際、感じていることの差異を感じる。
自分の考えを信じて生きていくのか。
自分の感覚を信じて生きていくのか。
ずいぶんと違う生き方になりそうだ。