今回のゲシュタルトの合宿
ワークが親との関わりだったり
パートナーとのかかわりだったり
子供とのかかわりだったり
近い人とのかかわりからの悩みが多かった
そのたくさんのワークをみて
愛とは?
という問いが立ってきた
ゲシュタルトの祈りがそれにあたるのでは?
わたしはわたしの人生を生き、
あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために
生きているのではないし、
あなたもわたしの期待にこたえるために
生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ
人と人の関わりにいい、悪いはないのでは?
と僕は感じた。
親は親で子供のためとほんとうに思ってのことだったと思うし、
子供は子供で親を愛しているから強く拒絶できなかった。
放任されたと感じているけど、実は家族のためと親はしゃかりきに仕事をしていた。
それを子供はわからないから寂しいと感じてる。
パートナーのことを想ってこうあって欲しいと願うから、意見がぶつかってしまう
子供のためにとお互いに想っているけど、それが一致しないから苦しみが生まれる
改めてゲシュタルトの祈りを読んでみると
この詩はこのような人の想いのすれ違いを
言っているように感じる
根っこには愛があって、愛の本質を祈りとして唄っているように僕は感じた。