今回のゲシュタルト合宿は自分にとって
自分の感覚を取り戻す日々となった。
その中でも感じないようにしていた怒り
幼い頃から親や学校で
怒ってはいけない
感情がコントロールできないといけない
怒るって~だよね
って言葉を鵜呑みにして、極力
怒りを出さないようにしている。
これらは権威者が人をコントロールするのに
都合のいい言葉
権威者はあくまで導く人で
怒る人が悪い人
という構図を作り出すことによって
人をコントロールする
結果、権威者の使いやすい人を
量産する仕組み
どれほどの人がこれに気づいて
いるのだろうか?
僕はつい最近まで気づかなくて
言われたことを鵜呑みにして
権威者の都合のいい人間だった。
その構造が今回のゲシュタルトの合宿で
数多くのセッションを見ることによって
はっきりと気づくことができた。
そうすると、あれも、これも、それも
怒りが止まらない
その瞬間に怒ればよかったけど、
感じないように抑え込んだ感情
溜め込んでるから、ある日
検討違いのところで怒りが爆発する
そもそも怒りは
外部からの攻撃に対して自分を守るために
使うもの
怒りをつかわないことで、自分を守れなく
なっていた。
やたらめったら感情的に怒るといいと言っているのではなくて、
自分の尊厳を侵食されたときは怒っていい
自分自身を守るために。
自分の大切にしている感覚や、捉え方を
大切にするために
自分を大切にできないと人も大切にはできないから
この自分の感覚、感情を大切にすることは
セラピストとしてだけでなく、人として大切だと思う。
自分の怒りにちゃんと触れられるからこそ
人の怒りを見たときに
セラピーマインドで聴くことができる
場合によっては過度に怒りが多すぎたり
少なすぎたり
それを話しを聴きながらクライアントに
あるいは友人に、家族に、大切な人に
気づきを生むのがセラピーだと僕は思う。
講座や個人セッションをやっています